式神は人の目に映るのか?

番外編「花鎮」で、奥方様が式神を恐れて実家に帰ってしまっていたが(笑)そういえば神将とか式神って人の目に映ったっけ?

  1. その壱「緋の祭文」から今に至るまで将之は鬼を斬りまくって(……)いる。
  2. その七「鬼獣来迎」だと、晴明の家の雑鬼は晴明と千早の君には見えたが将之には見えていない。
  3. 同じく「鬼獣来迎」、鬼獣は見鬼や陰陽師にしか(相模?彼は…うん ^^;)見えていない。
  4. その八「紅蓮の異邦神」、晴明の後ろの神将が見えたのは千早の君だけだった。
  5. その拾七「曉の夢路」でも将之をはたいた千早の君が慌てて「お肩に雑鬼こまかいのがおりましたの」と付け加えている。
  6. その弐拾四「狂風」では将之が「神将…か」と、見えている事がはっきり判る台詞を言っている。
  7. その弐拾五「地獄絵の女」では見えるのは晴明・千早・夏野であり、その他の人間には見えていない。
  8. その弐拾七「妖光の帳(前編)」、「俺みたいに霊力のない人間にまで見えるくらい魑魅魍魎どもが実体化…」。

と、用例的に見ていくとあまり法則性は見いだせない。
傾向としては「いる」だけの雑鬼は見えず危害を加えようとする鬼は見えるようだが、「鬼獣来迎」の例(3)で統一性を欠く。
しかし、「鬼獣来迎」には参考とする上で重要な場面がある。鬼獣の隠形は「目を潰されると破れてしまう」のである。
すると鬼の見える見えないは「本来見えるか否か」ではなく「鬼の方でそれなりの処置を行っている」と考えた方が自然なようである。
「立ち回り」の場面で鬼が見えているのは間違いないので、これはもしかすると「岩崎先生の演出上の狙い」とするしかないのか!?(笑)

これはあくまで推測なのだが、たぶん鬼も神将も式神も実体を持っていれば人の目に映るのだろう。
だが鬼は基本的に実体を持たず、実体を持つほどの力を持つ鬼は普段自ら姿を隠しているので隠形を見破れる人間にしか見えない。
で、実体のない鬼は「見える」者にしか見えない。と、こんな所でしょうか??

隠形は陰陽師としての修行を積めば見破れるらしいが、千早の君のように生まれつきその能力を持つ者もいる。
晴明や保憲もそうであったと『今昔物語集』巻24-15「賀茂忠行、道を子の保憲に伝える語」 、24-16「安倍晴明、忠行に従いて道を習う語」 にある。


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