番外編「花鎮」で、奥方様が式神を恐れて実家に帰ってしまっていたが(笑)そういえば神将とか式神って人の目に映ったっけ?
と、用例的に見ていくとあまり法則性は見いだせない。
傾向としては「いる」だけの雑鬼は見えず危害を加えようとする鬼は見えるようだが、「鬼獣来迎」の例(3)で統一性を欠く。
しかし、「鬼獣来迎」には参考とする上で重要な場面がある。鬼獣の隠形は「目を潰されると破れてしまう」のである。
すると鬼の見える見えないは「本来見えるか否か」ではなく「鬼の方でそれなりの処置を行っている」と考えた方が自然なようである。
「立ち回り」の場面で鬼が見えているのは間違いないので、これはもしかすると「岩崎先生の演出上の狙い」とするしかないのか!?(笑)
これはあくまで推測なのだが、たぶん鬼も神将も式神も実体を持っていれば人の目に映るのだろう。
だが鬼は基本的に実体を持たず、実体を持つほどの力を持つ鬼は普段自ら姿を隠しているので隠形を見破れる人間にしか見えない。
で、実体のない鬼は「見える」者にしか見えない。と、こんな所でしょうか??
隠形は陰陽師としての修行を積めば見破れるらしいが、千早の君のように生まれつきその能力を持つ者もいる。
晴明や保憲もそうであったと『今昔物語集』巻24-15「賀茂忠行、道を子の保憲に伝える語」 、24-16「安倍晴明、忠行に従いて道を習う語」 にある。