わかりやすくない鎮魂講座

その壱「緋の祭文」、その拾参「魂風」に出てきた「ヒフミヨイムナヤ(ヒトフタミヨイツムユナナヤ)ココノタリ フルヘユラユラトフルヘ」 という呪。何だか日本語のようだという人、その通り。まるで数を数えているようだという人、その通り。
「一二三四五六七八九十 振るへ、ゆらゆらと振るへ」と書けば何と言っているのかは判る。ではどういう意味なんだ?

今は昔の物語。アマテラスの孫、ニニギが中津国に降り立つ(天孫降臨)のに先立ってやはり天照大神の孫であるニギハヤヒが中津国に降りる事となった。その際にアマテラスはニギハヤヒに天璽あまつしるしの十種の宝を与え、

…しかして之に教えてのたまわく、もし病む所あらば即ちこの十賓とくさを以て之をまじなうて曰く、一二三四五六七八九十、布瑠部、由良由良止、布瑠部。もし之をする事是のごとくなれば則ち死人をして蘇生よみがえらしめん。…

【『先代旧事本紀』】

つまり「もし病む所があったらこの十種の宝で「一二三四五六七八九十、布瑠部、由良由良止、布瑠部」とまじないなさい、そうすれば死人も生き返らせる事ができる」と言ったというのである。
念のため付記しておくが、このくだり(というよりはニギハヤヒの存在自体)は物部氏に伝わる『先代旧事本紀』にしかなく、『古事記』および『日本書紀』では言及されていない。
さて、この十種の宝は「十種神宝とくさのかんだから」と呼ばれる。

の十種なのだが、そう、その拾九「花供養」で晴明が唱えた呪に出てきたものである。
「一二三四…」というのは言霊信仰の見地などから諸説あるが、この十種神宝を省略した形で述べ上げているという見解もある。
「布瑠部由良由良止布瑠部」とは揺する事で魂を活性化させ本来の状態にするというもの。その際術者は両手を組み(手の中に魂を囲んでいると考える)その手を揺らせるのを正式な形とするらしい。そういえば「魂風」で晴明は「ヒトフタミヨ…」と言いながら手を組んでいたっけねぇ…。
なお、この鎮魂法は布瑠御魂神ふるみたまのかみを主神とし十種神宝を祀る奈良県の石上いそのかみ神宮(物部氏の氏神)に伝わるものであるらしい。

ちなみに晴明神社の護符の中に「一二三四五六七八九十 布瑠部由々良々止布瑠部」が書かれた物がある。持っている人は効力が失せるのを覚悟で開いてみよう。
ただし、「由々良々止」を「ゆゆららと」とは読まないように。これは古代での「ゆらゆらと」の表記法なのである。学生時代にその事を教えてくれた教授は、先の「魂を揺らす」について「あなたぁ〜!なんで死んじゃったのぉ〜!」と泣きながら死者の体をゆさゆさするのは「魂振り」の名残りだと言ってはばからない(笑)。いや、れっきとした伝承文学者なので本当なのかも知れないが…。

十種神宝の個々については判然としない。私の見た限りは『先代旧事本紀』にもその名称があるばかりである。
ただし、蛇比礼と蜂比礼に関しては『古事記』でオオクニヌシが根堅州国を訪問するくだりで記述がある。
根堅州国でオオクニヌシはスサノヲの娘であるスセリヒメを所望し、スサノヲは彼を試すために蛇の出る洞窟に泊まらせる。スセリヒメはオオクニヌシに「蛇比礼」を渡し、「蛇が出たらこの比礼を振りなさい」と言う。彼がそうすると蛇は彼に何らの害も与えなかった(2日目は蜂の出る洞窟に泊まらせ、以下は「蜂比礼」で同様)。
ちなみに「比礼」とは身分の高い女性がまとう薄い布の事。イメージとしては羽衣である。

また、「オキツ鏡」と「ヘツ鏡」が神宝として伝わっているのが京都府宮津市のこの神社。写真を見る限りでは形は普通の銅鏡だったが、科学的分析によると約2000年前のものだとか。
死返玉はその壱「緋の祭文」に出てきたが…晴明先生…都から石上神宮まで行って借りてきなさったんやろか…(笑)。


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