憎むにはワケがある

影連の話。もちろん第一の理由は拾遺「化石の海」にて描かれたように極めて個人的な晴明への愛と傷心(笑)だが大義名分は「肉親の恨みが、かつて朝廷に滅ぼされた祖先の怨念に火をつけた」(傍点筆者)からとのこと。
はたしてその大義名分、本音を言えない事からの苦し紛れかそれとも本当にそういう事実があったのか!

橘氏と藤原氏が関わる史実は主にこの4つであろう。「阿衡の紛議」以後、『王都』の時代までで橘氏が歴史の表舞台に立つ事は殆どない。
影連の身に起こった事と承和の変は酷似しているが年代的に同一視は不可能だ。また、影連の幼年期であるはずの920年〜930年前後に似たような事件の記録はない。

ところで、その貳「琥珀の迷境」で影連が「安部氏も朝廷に逆らった」といった事を口にしていたが、伊予親王の謀反事件の際に唯一親王を庇ったのが安部兄雄(しげお)。876年、大極殿炎上の際に罪に問われたのが安部房上(後に許されている)。安部氏の祖である安部御主人は「天武朝の攻臣」であり、天武天皇は兄である天智天皇の死後、その息子である大友皇子から皇位を奪ったのだから、遠回しながら天皇家直系に背いたといえなくもない。苦しいなぁ。


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