安倍晴明出生の謎

とにかくあんな人外な力を持っているのだから妙な噂が立つのも当然と言えば当然で、その拾「陽のあたる場所」では妖物である、とかその拾七「曉の夢路」、拾遺「化石の海」その弐では母親が狐である、とかいろいろ言われてしまう晴明サマ。
彼の出生で唯一明らかな事は養父母に育てられたという事だけで【拾遺「水の行方」「化石の海」その壱】後はまるで謎なのだが、ここは「曉の夢路」の噂をもとに推測してみよう。

真偽の程を知るのが怖くて晴明が確かめなかった噂
─ 自分の母親が狐であることを見てしまい母を失った子供の話 ─
は現在でも浄瑠璃・歌舞伎などで上演されている。
一般に「しのだづま(信太妻・信田妻)」と呼ばれるそれらの話の筋をつかめばだいたい以下の通り。

安倍保名(やすな)に命を救われた白狐(信太明神の化身とも)は恩に報いるため「葛葉姫(くずのはひめ)」という娘に化け、保名の妻となり一子をもうける。
子が5歳になったある日、庭先の菊に見とれた母狐はうっかり本性を現してしまい、それをわが子に見られてしまう。
(又は本物の葛葉姫がおり、彼女が現れたために正体を知られてしまう)
母狐は「恋しくばたずね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌を障子に書き残し泣く泣く信太の森へと帰っていく。
子は成長し、帝の病を平癒した功績から取り立てられ「清明」の名を与えられる。
(※童子の年令、歌の言い回しは作品によって違いがある)

と、なると晴明は人間と狐の間の子という事になるが、確かにその参「呪縛の杜」では手紙を、その拾八「鬼神志願」では藁人形を何も使わずに燃やしている。あれは俗にいう「狐火」という物であろうか。
また、「信太妻」伝説の葛の葉狐は「金色の目の白狐」である…。

史実上の安倍晴明の父の名は安部益材(ますき)となっており「信太妻」と食い違うわけだが、伝奇色の強い『王都』においては父親は保名と呼んだ方がふさわしいだろう。晴明が養父母に育てられたというのはその辺りのつじつまが合っているよね。
しかし晴明が人間だという証明は「曉の夢路」ラストで千早の君が身をもってしてくれているので、結局晴明の出生は謎のままなのであった…。
(「曉の夢路」にて美緒が千早丸の影響を受けた事を考えると、晴明が千早丸を扱える事も彼が人間である証明になる。白狐を妖と呼べるのならの話だが)

『プリンセスGOLD』'95 08/16号付録のポストカードカレンダーでは晴明と白狐が描かれており「葛の葉か」と噂されたが、後に単行本第10巻「余談こぼればなし」で「たんに色がうすいだけの人間(ヒト)らしい…」と明言されてしまった。
今までの文章はムダなのである。ここまで読まれた方はお疲れさまでした(笑)。

参考までに、ここに「信太妻」及びそれに関連する文献で活字になっている物を私の知る限り挙げておく。

『**抄(ほきしょう)
慶長年間(1596〜1615)成立
活字本:『説話論集』第四巻 清文堂
仮名草子『安倍晴明物語』
近世初期成立 作/浅井了意?
活字本:『仮名草子集成』第一巻 朝倉治彦編 東京堂
説教節・浄瑠璃『しのだづまつりぎつね 付 あべノ晴明出生』
延宝2年(1674)成立
活字本:東洋文庫243『説教節』 平凡社
浄瑠璃・歌舞伎『蘆屋道満大内鑑』
享保19年(1734)10月初演 作/竹田出雲
活字本:新日本古典文学大系93『竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集』 岩波書店
中西和久ひとり芝居『しのだづま考』
平成元年(1989)10/25初演 作/ふじたあさや
活字本:『中西和久ひとり芝居 しのだづま考』 ふじたあさや 解放出版社

CD『妖星(後編)』での「一度結びし師弟の契約…」の台詞は『しのだづまつりぎつね 付 あべノ晴明出生』からの引用なのだが一つツッコミを入れさせて。
『しのだづまつりぎつね 付 あべノ晴明出生』では清明が文殊菩薩の化身である伯道上人と師弟関係にあったから「師弟の契約」がいえるけど、『王都』の晴明は神仏の弟子じゃありませんぜ。忠行師匠が神仏…?(笑)

晴×将や将×晴派にとって煩悩モノだった「この願い叶わずば晴明が命ただ今取り給え」。
『しのだづまつりぎつね 付 あべノ晴明出生』では父・保名を蘇らせるために清明が叫ぶ台詞なのだが「例え定業限りの命なりとも今一度蘇らせ給え」の台詞に限っていえば実は『王都』に2回出てきている!ヒマな人は探してみよう。ヒントは第1巻ね。

『蘆屋道満大内鑑』の三段目「小袖物狂い」のくだり、保名の婚約者である榊ノ前が保名を庇って自殺、その悲しみから発狂した保名が彼女の形見の小袖を持って野をさまよう…という設定を舞にしたのが歌舞伎舞『保名』。(本命題:「深山桜及兼樹振( みやまのはなとどかぬえだぶり) 」)

「古典はよー判らん」という方には『しのだづま考』がおすすめ。
判りやすいし笑えるし、どっかで見たような場面があるのも嬉しい。
舞台の冒頭で「これが何の話のキーワードか判る方?」と質問されたら元気に「はいっ!」と手を挙げよう!(笑)

ところで晴明サマは世界最凶…もとい最強の美形。
「そのかたち柔和にして容顔美麗」【『しのだづまつりぎつね 付 あべノ晴明出生』】な保名と「しゃっくりを止める程のいい女」【『蘆屋道満大内鑑』】である葛の葉との子ならそりゃ美形だろうが、きっと母親似だな。

普段は中年以降の方が多い歌舞伎の観客。
しかし平成8年三月大歌舞伎・平成9年二月大歌舞伎(共に夜の部)に限って若い女性が多かったとか。
『蘆屋道満大内鑑』『保名』が演目にあったからねぇ。
そこ、身に覚えがあるだろう!?('97 02/07『しのだづま考』第200回上演には結構アヤシいのがいたぞ)


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