陰陽師は式神使いが荒い・参

晴明が数多くの式神を使うのに対し、1匹の式神を自在に操ったのが橘影連。
何せ式神は(ザコを除けば)羅候(ネットの都合上この字を使わせてもらいます)ただ1羽だったのだから晴明さんちの式神と違って負担を一身に背負っていた羅候の苦労は計り知れない。

この羅候、実に芸に富む式神で、

また、立ち回りに関してもその弐拾四「狂風」で神将と互角に渡り合っている。
その弐拾七「妖光の帳(後編)」では良源サマの一撃の下に消え去ったが、数が増えた分個々の能力が落ちたのでは。
…こう見てみると晴明はもしかして「数にモノを頼む」というヤツではないかと思えるのだが…。

ところである謎が1つ。「鬼神楽」で将之に憑いたのは確かに羅候であったハズなのに、将之が操られているまっただ中で影連の肩に止まっている鴉は一体…。
まさか実は羅候にはクローンがいるとか、実は兄弟がいて全て影連に従っているとか、まさか実は………(以下略)。

そんな羅候もその参拾「蜃楼都市」でついに消滅してしまった。
式神なんだからまた作れば良かったのに、などと考えちゃいけない。素直に消滅を悼もう。
あれは偶然ではない、身を呈して主人を庇ったんだ(多分ね)!

さて、「羅候」という名にはきちんとした由来がある。その拾壱「妖星」を読みたまへ。
…いや、さすがに1行で終わらせるわけにはいくまい。岩波書店『広辞苑』による記述は下記の通り。

らご【羅*】(梵語Rahu)
  1. インドの天文学で、白道と黄道の降交点に当る架空の星の称。日・月にであって食(しょく)を起こすという
  2. 九曜星の一。羅*星。
  3. 羅*羅(らごら)の略。

(*は『王都』の羅候と同じですので単行本を見て下さい)

「妖星」における羅*星は(1)と(2)を両立させている。
(2)にある九曜占術とは九星占術とは全くの別物で、陰陽道における一種の占星術である。簡単にいえば、数え年から人々がその年にどんな星にあたるかをみて吉凶を判ずる、というもの。九曜占術では羅*星、計都星にあたる年は災厄に見舞われるとされ、慎んで何もなさぬのが良いとされる。なお、羅*星は7匹の蛇の鎌首を戴く3つの鬼神の頭部で表されるとかや。
(3)の羅*羅。同じく『広辞苑』によると

らごら【羅*羅】(梵語Rahula)
釈尊の嫡子。母は耶輸蛇羅(やしゅだら)。父について出家し、戒律を細かく守り、密教第一と称せられた。釈尊十大弟子の一。

…これはあの鴉の羅候の意味するところではあるまい。

余談になるが式神にいちいち名前をつける影連はひょっとして寂しがりやさんだたのではなかろうか(笑)。晴明さんちの場合、元から名前がなければ名前で呼んだりしていないわけで。………何、言わずもがなの事!?


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