年令の恐怖
繰り返すがこの「解体新書」では人物の年令を数え年で表記するのでご了承を。
- 平安時代、成人儀礼はだいたい15、6歳で行われたらしい。
晴明が賀茂家に弟子入りした頃は保憲が既に成人しており晴明はまだであった所から見て11、2歳といった所か。これが梅雨時の事。
その年の冬、晴明は高雄で若君(笑)と出会うのである。そして陰陽師となる決心を固めた晴明は良源サマの異形の姿を見、その心の強さに打たれるのであった…。
良源サマは912年生まれ。晴明の9歳上。
- 拾遺「化石の海」その弐にて平将門公が出てきたが、平将門の乱(承平の乱)は935〜940年。
『日本紀略』によれば将門公が討たれたのは天慶3(940)年03月05日(『将門記』では02月14日)、首級が都に着いたのが04月25日ということである。
『王都』の晴明は延喜21(921)年生まれであるから、あの時点で20歳になっていたことになる。
- 将之は延喜22(922)年生まれ、晴明の1つ下。亥年生まれではない、午年生まれだ。
- 保憲氏は延喜17(917)年生まれ、晴明より4歳年上。ちなみに忠行師匠は生年未詳。
- 影連の生まれ年は(晴明以前、保憲以降と仮定すると)延喜17年(丁丑)、18年(戊寅)、19年(己卯)、20年(庚辰)、21年(辛巳)のいずれかである。どれがイメージにあうだろう…(個人的に庚辰!)。
「氷の縛鎖」での氷月メモが読めれば話は早かったのだが。ちっ。
以上より、その参拾壱「蜃楼都市」の時点で
- 晴明:(26 + m)歳
- 将之:(25 + m)歳
- 保憲:(30 + m)歳
- 良源:(35 + m)歳
- 影連:(20 + m + n)歳 ←死人だから
※ m =「化石の海」と「緋の祭文」の年数差(0 ≦ m)
※ n = 影連と晴明の年令差(0 ≦ n≦4)
となる。
「化石の海」は過去の話なのでその前後のその弐拾四「狂風」〜番外編「夢語り夢紡ぎ」までの時間経過はさほどないものとする。
また、時間経過は基本的に単行本収録順の季節変化によって算出。単行本ではなくGOLD本誌を基準にすると1歳年令が下がる可能性あり。(「蜃楼都市」が花の種類から初夏と推測されるため、真夏の話である「地獄絵の女」の位置で微妙に変わるのだ)
いずれにせよ、当時の平均寿命が40歳程度である事を考えると全員若くない。焔に「おじさん」呼ばわりされても将之が平然としていたのは当然なのである。【その拾六「星の宿」】
以上、あくまで史実から見た勝手な考察である。最大のミステリーは藤哉の年令である……どう考えても連載中に成人してるはずなんだが……。
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