まずは人を知れ-藤原将之編-

ご存じ『王都妖奇譚』の準主人公。左近衛府少将。猪だが意外に繊細な一面もある。
(CD版キャスト:山寺宏一 / TV版キャスト:保坂尚輝)

【プリンセスGOLD'96 04/16号付録卓上ポストカードカレンダー】

延喜22年(晴明と同い年じゃなかったのな)は西暦922年。干支では壬午である。壬午生まれの人間って、いわゆる「女房役(変なイミにとるなよ)」が性にあうんだってさ、参考までに。
20貫は約75kg。貴族というより武士に近い将之、筋肉質の体格にしては軽くないかい?筋肉質というより引き締まってるのか。
それにしてもあの「女装だな」の一言。晴明サマってこれだから好き♪(笑)

他に彼の設定としては

などなど。

単行本2巻の「余談こぼればなし」で「服装の時代考証が一番無視されている」とあるので調べてみました。
形としては直垂(ひたたれ)が最も近いのだが、平安時代、直垂は庶民の服装。当然貴族は着ないのである。袖も当時は筒袖(現在の洋服と同じように幅のない袖)であって大袖となるのは源平対立の辺りから。
つまり彼の服装は平安というよりは鎌倉・室町時代に近いのだ。
髪を髻(もとどり)にしていないだの烏帽子(えぼし)を被っていないだのはメインキャラの殆どがそうだけど…。

愛馬・銀(しろがね)。無鉄砲な主人のために頑張るけなげな子だが、当時の馬は体が小さい。映画の合戦シーンでサラブレッドが使われるがアレは嘘。実際は道産子や木曽馬程度の大きさであり、大の大人2人も乗せて走り通すにはムリがある【その拾八「鬼神志願」】。
銀もご苦労様。真ん丸な目で冷や汗ダラダラやってる君がいとおしい♪

正規の服装に関しては『延喜式』(律令の施行細則。927年成立、967年施行)巻第45に

武禮冠。錦裲襠(にしきうちかけ)。將軍帶。金裝横刀(こがねつくりたち)。靴。幟著ケタル殳(ほこ)ヲ策ス(のぼりを付けた鉾を杖ついて持つ)。
但シ御輿ヲ供奉ルニ(天皇行幸の御輿の警護の際は)少将ハ皀*(くりおひかけ)。袿甲(うちかけよろひ)ニ弓箙ヲ帶ビル。
と書かれている。
※『王都』の時代(940年〜945年頃)に『延喜式』は施行されていないのだが、その前に施行された『貞観式』施行が871年と古すぎる。よって、ここでは既に成立は果たしているはずの『延喜式』を引用した。 また、原本は漢文で書かれている。訳は筆者が行ったため、文章の書き下し・訳は誤っている可能性あり

又、当時の近衛府上級官吏は既に名誉職と化していた。本来は内裏や行幸の際の警備が任務だったものが、儀杖・舞楽・射芸などに移っていたらしい(それとて中級官吏の役目…)。その弐拾弐「錦繍乱舞」で左大将どのが騎射に気をもんでいたのも納得。
で、その大将は近衛府長官(ちかきまもりのかみ)。大臣か大納言の兼任が多く、従三位が相当、長官だから定員は勿論各近衛府に1名。
中将は次官。従四位下が相当で定員2名(但し10世紀中期の定員は判然としていない。1名かも)。
少将も同じく次官。正五位下が相当で定員2名。


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