考察拾遺集
よーするに、項目を立てる程の内容でもなく、さりとて捨てるのが悔しいネタの処分市。さ、行こ行こ。
- 余り史実にこだわるのもどうかと思うが、承平・天慶間(931〜946)位に就いたのが朱雀天皇、天暦〜康保間(946〜967)位に就いたのが村上天皇。晴明が20代半ばとすれば、丁度譲位する頃なのである。
最初から(帝はその参「呪縛の杜」が初登場)村上天皇だとすれば譲位騒ぎが出てこなくても良いのだが、晴明サマの御年がぁ………(涙)。
※どんなに若くても「呪縛の杜」の時点で26歳になる。帝が21歳。
- 実在人物ネタ追加。
源満仲:延喜12(912)年〜長徳3(997)年
清和源氏の祖、源経基の子。源頼朝は彼の直系の子孫である。永延元(987)年出家。法名満慶。
その四「影送り」に出てきた退魔の太刀「膝丸」。『平家物語』剣巻によると長さ二尺七寸。「満仲、鬚切・膝丸二つの剣を持ちて天下を守護し給ひけるに、靡かぬ草木もなかりけり」。なお、膝丸の名の由来は罪人で試し斬りしたら膝ごとぶった斬ったから………。
『大鏡』で晴明公が登場する花山天皇出家事件、その際に天皇の警護をしたのが彼だったともいう。
…あら、延喜12年生まれって事は満仲どのと良源さま、同い年だね(禁句だったかしら?)
- 「呪縛の杜」における呪術用語「厭魅」「蠱毒」。
「厭魅」とは「呪いの藁人形」に代表される、人形を媒体とした呪法。弓矢を射かけるものを杣(そま)法、針や釘を刺すものを針法、金槌を用いるものを天神法というらしい。
「蠱毒」とは蛙や蛇を共食いさせて生き残ったものを式神に変えて呪うもの…らしい。
- その拾参副題「魂風」。東北、北陸地方で冬の季節風を指す「玉風」をかつてはこう書いたらしい。【光琳社『空の名前』】
- その拾九副題「花供養」。(1)四月八日の灌仏会(花祭)に花御堂をつくり仏に供養する事 (2)桜の花を祭る行事【岩波書店『広辞苑』】
- その弐拾六副題「曉降」。夜が更けていって明け方近くなる事。【岩波書店『広辞苑』】
- 二十四節季の「清明」、芸能の安部清明と何か関係があるのかと思いきや、芸能において安部童子が時の帝の御病を平癒させた働きで位を与えられたのが3月で、それにちなみ「清明」の名を賜ったのだとか。
「清明」は今の4月5日頃。旧暦では3月である。さっぱりと明るくなる頃だからこう言うそうだ。
- 「陰陽師と旋風(つじかぜ)は会わぬが秘密」という諺がある。
旋風とはつむじ風、秘密は秘訣の意味だが、内容は
「陰陽師はロクな事を言わないしつむじ風は目つぶしの危険があるから、この2つには極力近づかない方がいい」
………どっかの少将が言いそうな言葉だな(笑)。
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