まずは人を知れ-賀茂保憲編-

陰陽頭賀茂忠行の息子。お気楽な父の下で苦労のたえない日々を過ごしているらしい。
(CD版キャスト:広中雅志 / TV版キャスト:段田安則)

心理分析が得意であるようで、その拾弐「無明長夜」では晴明が呪力を失った原因を説明しているし、その弐拾参「氷の縛鎖」や拾遺「化石の海」その壱・その弐では影連の心理を解析している。
はっきり言って、あの晴明や影連の心理分析ができるとは何とも希有(けったい)な人間だ(…あぁ、またファンに喧嘩売って…)。
まぁ忠行師匠に晴明の方を重んじるフシがあったから保憲氏としては不安定な影連に気が気でなかったのでは。
それで笛を譲ったのに、凶器(笑。違う笛なのかも知れんが…)として使われたのではたまったものではない。
兄弟子の心、弟弟子知らず…晴明も同じだな(**;)。

史実上の保憲の長男、光栄は天慶2(939)年の生まれであるから、拾遺「化石の海」その弐(平将門の乱=940年)の時点で保憲は妻子持ち。
その内に光栄が弟の光輔、光國や妹(姉?)ともども出てくるかと思ったが…出てこなかったね。
保憲の娘は歌人だったらしく、『賀茂保憲女集』(かものやすのりのむすめしゅう)という歌集がある。
『賀茂保憲女集』は明治書院『和歌文学大系』20に収録。ウェブ上では「千人万首」内のこのページを参照のこと(ただし『賀茂保憲女集』全文ではない) 。

保憲は初登場時に「護法」を使役していたが、「護法」には四天王や二十八部衆に代表される「護法善神」と、その「護法善神」に使役される童子姿の鬼神「護法童子」とがある。保憲の「護法」は童子姿であったから「護法童子」と思われる。まぁ式神の仏教版とでも思ってもらえれば良いのではと思う。式神と違うのは、護法童子には自由意志がある(らしい)という点かな。式神というよりは神将に近いみたい。

史実上の資料をざっとまとめると以下の通り。

賀茂家は後に勘解由小路(かでのこうじ)家と名を変えた。永禄8(1565)年、勘解由小路在富の死去を以て賀茂暦道は途絶し、慶長年間(1596〜1615)には賀茂家(公文書では「勘解由小路」ではなく「賀茂」となっている)そのものも断絶したらしい。
結局は天和2(1616)年、賀茂の分家である幸徳井(かでい)家に造暦職務が返還され賀茂家は再興。
賀茂家断絶から幸徳井家への造暦職務返還までの間は土御門家が職務を代行していたが土御門家による暦はアテにならなかったそうな。…土御門家とは、かつての安倍家です…。


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