陰陽師は式神使いが荒い
晴明は式神使いが荒い。終盤はそうでもなかったが最初の頃は式神を使わない回が全体の1/4程度しかなかった時期もあったのだ。
影連の場合は…本人が鬼だから式神というより手下と言った方が正しかろう…(苦笑)。
では、そんな晴明の式神をざっと調べてみよう。
- 日常用いる式神は晴明の畳紙(懐紙)─桔梗印が描かれている─が呪力によって姿を変えるもので、形は鬼であったり鳥(主に鷺)であったり【その貳「琥珀の迷境」・その伍「鬼神楽」など】。
道案内として鷺の姿の式神を使う場面は『宇治拾遺物語』にもみられる。
※何かしら任意の姿にする時は相応の労力を伴うらしく、その参「呪縛の杜」では晴明自身の姿に、拾遺「華炎」では鼠の姿にするために呪符を必要としている。また、番外編「夢語り夢紡ぎ」での晴明の台詞から、このタイプの式神には意志・思考がないものと思われる。
- 蜘蛛の妖、唐糸。その拾四「夜叉桜」で都を狙い、晴明を贄にせんと現れたのを晴明が(良く言えば)調伏した(悪く、というか真実を言えばナンパした)。人間の姿に最も近いのでその拾八「鬼神志願」では門を守りを、その拾九「花供養」では義遠(将之の影に憑いた怨霊)への使いを果たしている。
なお、唐糸の判断では将之や氷月は怪しい者であるらしい(笑)。
※『御伽草子』に「唐糸御前」という女性が出てくるが人間であるので無関係だろう。
- その他に雑鬼連中もケース・バイ・ケースでこき使っているのだろう…あの晴明の性格からして…。
式神は術を破られるともとの術者に害をなすようだが【拾遺「化石の海」その弐】、周知の通り晴明はその伍「鬼神楽」で一度影連に式神を破られている。だがあのとき晴明の何の被害もなかったのは何故だろう。1つは影連が手加減したという考え、もう1つは式神を破られた時の反動をよそに流す術を晴明が知っていたという考えが出るが…。
何はともあれ「この私に式神は通用しない」と豪語なさる晴明先生、それでも羅候(※ネットの都合上この字をあてさせて下さい)には随分手を焼いていらっしゃったじゃない(笑)。
十二神将については「陰陽師は式神使いが荒い・弐」に続く!!
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